イタリアでも東奔西走の記
2012.9.1 その3 ミラノ

目的地とは反対方向のトラムに乗って、終点まで行ってしまった私たち。折り返し運転をするというので、そのまま乗っかって、今度こそ須賀敦子の暮らしたアパートメントのあるムジェッロ街を目指します。

さっき見たよ、ここから乗ったよ、という場所を苦笑しながら通り過ぎ、27番のトラムに揺られること30分。車内アナウンスなどないので、いまいちあてにならない路線図と地図を突きあわせて、ここだと思われるところで下車しました。

ムジェッロ街はすぐに見つかりました。真ん中に緑地帯の設けられた、ふとい通りです。大竹昭子さんの著書『須賀敦子のミラノ』によれば、そのアパートメントは角から2番目の建物だとか。ということは、これがそうですね。

     

須賀敦子と夫ペッピーノは、1階の部屋に住んでいたそうです。この部屋で客をもてなし、ここから、今はなき35番のトラムに乗って、街の中心にあるコルシア書店へ出かけていったのですね。重厚な石造りのアパートメントを見つめていると、コルシア書店(現サン・カルロ書店)を見たときとはまた違う、どこかしんとした気持ちになります。

ムジェッロ街から27番のトラムに沿ってまっすぐゆくと、ペッピーノの家族が暮らした鉄道官舎があるというので、そこまで歩いてみることにしました。

ミラノに来て3日目、空にトラムの架線がかかる眺めにもすっかり馴染みましたが、ここの架線はどこか様子が違うように見えます。はて、どうしてだろうと考える私の目の前を、トロリーバスが!なるほど、そのための架線だったのですね。心の準備ができていなかったので、きちんとバスの姿を捉えることができませんでした。

  

足元には、これまた見慣れたトラムの線路が。でもたどっていくと、線路の上に車が停められています。あるいはここを35番のトラムが走っていたのかもしれません。

  

ナヴィリオの環からも城壁の環からもはずれた「外」の街は、中心部とは建物の雰囲気も少し違う印象を受けました。トラムの走る大通り沿いには、さほど古くない高層の建物が、横道には、中心部ではほとんど見かけなかった低層の住宅が並びます。

   

スーパーがあったので立ち寄ってみました。さすがイタリア。ハムとサラミだけでこの品揃え!もちろんワインもよりどりみどりです。(本当はお化粧室を拝借したくて入ったのですが、見つからずに退散したことは、ここだけの秘密です)

  

須賀敦子がこの街に暮らしていた1960年代には、きっとこんなスーパーはまだなくて、メルカート(市場)や個人商店で買い物をしていたのではないでしょうか。 
やがて正面に目印の三ツ橋が見えてきました。鉄道官舎はもうすぐです。

その4につづく。(N)