イタリアでも東奔西走の記
2012.9.1 その4 ミラノ

ムジェッロ街のアパートメントから、トラムの走る通りに沿って東へ歩くこと15分、道路にかかる三ツ橋に到着しました。

   

橋をくぐると、すぐ脇に立派な建物が数棟並んで建っていました。
これが須賀敦子の夫・ペッピーノの実家だった鉄道官舎です。

      

決して楽ではない暮らしぶりや、ペッピーノの家族を覆う死の影にふれた須賀敦子の描写から、くすんだ灰色に沈む暗い建物を想像していたので、からりと明るい佇まいに少し驚きました。

大竹昭子さん『須賀敦子のミラノ』によれば、この官舎は国鉄の所有を離れて一般に払い下げられたときに、大幅に改装されたのだとか。もとの外壁はコンクリートの色だったというので、勝手に抱いていた灰色のイメージは、あながち間違っていなそうです。

ペッピーノの父親が詰めていた信号所は、鉄道官舎から30メートルほどのところにあったのですが、今は新しい信号所に併合されて、その役目を終えています。きょろきょろしてもそれらしき建物は見当たらなかったので、あるいはもう解体されてしまったのかもしれません。三ツ橋の上を走る列車も、きっとあのころとは違うものなのでしょう。

   

鉄道官舎からさらに東へ行くと、国内線と短距離国際線を主要な路線とするリナーテ空港があります。そのためこのあたりは建築制限が厳しく、私たちの頭上にはがらんと大きな空が広がっていました。ナヴィリオの環、城壁の環につづいて、この三ツ橋を渡る線路が、またひとつ街の区切りになっているようにも思えます。

さて、ふたたび27番のトラムに乗って、街の中心ドゥオモまで引き返します。

   

先ほどのスーパーで用を足しそこねたので、だんだん切迫した状況になってきました。ドゥオモに着いたらカフェにでも飛びこもうかと思っていたのですが、そういえば広場の脇に百貨店のようなものがあったと思い出しました。入ってみると、万歳、ちゃんとお化粧室がありました。

みんな考えることは同じなのでしょう。長い列に並んで個室に入ると、あれ?便器に便座がない……。以前マレーシアでも同じようなトイレに遭遇しましたが、あれはいったいどう使えというのでしょうか。いまだに正しい使用法がわかりません。

なにはともあれ、危機を脱して一安心。今日も美しいドゥオモをパチリ。

   

あ、こんなところにボブ・ディラン

   

おっと、ディランに気を取られて注意力散漫になってはいけません。広場には押し売りがたくさんいるし、どこにスリやひったくりが潜んでいるかわからないのがイタリアです。ハトのエサを押しつけようとするひとや、ミサンガを巻きつけようとするひとを振り払い、バッグを抱えるようにして歩きます。

イタリアを訪れたことのある友人たちから、鞄のチャックを開けられたとか、ツアー同行者がカメラを盗られたとかいう恐ろしい話を聞かされてきたし、村上春樹の奥さんだってバッグをひったくられたというのですから、否が応でも慎重になります。(『遠い太鼓』参照)

かちこちの私たちが次にむかったのは、須賀敦子の時代からミラノ一おしゃれな通りと言われているモンテ・ナポレオーネ通り。高級ブランド店が軒をつらねる通りなのですが、残念ながらブランド品など買う余裕のない私には、歩道が狭くて歩きづらい、という印象しか残りませんでした。

通りを抜けると、地下鉄3号線のモンテ・ナポレオーネ駅へ出ます。ここで愛しの1番トラムと再会。せっかくなので、少しだけ乗ってみることにしました。

その5につづく。(N)