集集線の旅 その3

 
黒い雲と追いかけっこをするように、集集線は走ります。途中の踏切で手作業によるポイント切り替えを目撃しました。1時間半に1本しか走らないローカル線ならではの風景です。
 



 

おじさんが歩いて行って……どっこいしょ!
 


 


15:11、集集線の起点である二水に到着しました。ここが父方の祖父の生まれ故郷です。話に聞くばかりの、一度も会うことの叶わなかった祖父が、日本へ出てくるまでの時間を過ごした故郷なのです。……などと感傷的なことを言いながら、にわか撮り鉄気分は忘れていません。台鐵西部幹線の列車を激写。青と黄色のコントラストが美しいです。でも側面は銀色です。
 


 

駅を出て、まずは駅舎をバックに母や親戚と記念撮影。親戚の手には、先ほど買った「公益彩券」がしっかり握られています。
 

何十年ぶりかに二水の地を踏んだという母曰く、祖父の実家は駅からだいぶ距離がある上、連絡先ももう手元に残っていないとのこと。その代わり、お世話になった医者の家が駅の近くにあったはずだというので、その家を探してみることにしました。
 


歩きはじめてすぐ、日本家屋が立ち並ぶ集落がありました。かつてこの町には、多くの日本人が住んでいたのでしょう。なかには屋根が抜けて傾きかけているものもありましたが、住み継がれている家もありました。
それにしても背後の雲が不穏です。
  


昔はこんな立派な道路なんかなかったから、もう全然わかんない、と半ばあきらめかけている母を励ましながら、歩くこと数分。「あったあった」と、母が一軒の中庭にずんずん入っていきました。三合院を現代風に作り直したような邸宅です。
 


 

「すみません」となぜか日本語で呼びかける母。その声に応じて、お手伝いさんらしきひとが顔を出しました。「あのひとはいる?」「じゃあ、あのひとは?」という母の質問に、残念そうに首を横に振るお手伝いさん。それはそうです。長い歳月が過ぎているのですから。
 

もう往時を知るひとはいないのかと思ったそのとき、「大奥様ならいますよ」とお手伝いさんが言いました。大奥様と言われても、ぴんとこない様子の母を置いて、一旦奥へ引っ込みます。
 

そのお手伝いさんに手を引かれて現れた老婦人を見た瞬間、「わあ!」母が華やいだ声をあげました。対する老婦人も、「ああ!」と感嘆の声をこぼします。手に手をとりあって再会を喜ぶふたり。はたして大奥様こそ、若かりし日の父と母を知るそのひとだったのです。
 

私たちはソファの置いてある部屋に通されました。母と老婦人は、手をとりあったままです。そうして、それぞれの家族の近況や、私が生まれるずっと前のことを話しました。どうやら母は、父の実家を訪れる際に、祖父兄弟と縁のあったこの家に泊めてもらっていたようです。
 

老婦人はときどき、とても美しい日本語で私に話しかけてくれました。かつて日本が台湾を統治していた時代に、日本語教育を受けたのだということがわかりました。同じく日本語教育を受け、医者になったご主人は、バイクで往診中、曲がり角で車にはねられて亡くなったそうです。
 



昔、母が使わせてもらったお風呂場がそのまま残っているというので、見せてもらうことにしました。当時としては珍しく、小さいながらもきちんと浴槽のついたお風呂だそうです。
ミントグリーンに塗られた木の扉を開けると、「そうそうこれだった」と母が懐かしそうにうなずきます。





裏庭には、ブランコのさがった大きな木があり、猫がいました。台中界隈で出会う猫はとてもひとなつっこく、呼ぶ前からからだをすりよせてきます。「小鬼(悪ガキ)」にいじめられたトラウマがないのでしょうか。
かわいいです。

老婦人の家で30分ほど過ごしたでしょうか。いよいよ空模様も怪しくなってきたので、おいとますることにしました。母と老婦人は、最後まで手をとりあったままでした。

二水の駅に着くかどうかというところで、とうとう雨が降りはじめました。それはそれは激しい雨です。切符を買って、「月台」で16:06発、台鐵西部幹線「上行」を待ちます。やってきた青い列車に乗車し、私の集集線の旅は幕を閉じました。
 


祖父の実家を訪れることこそ叶いませんでしたが、それはきっとまた機会があるでしょう。胸に去来するあれこれに思いを馳せながら車窓を眺めていたら、窓がかわいらしい形をしていることに気づいて、ぱちりと写真を撮ったのでした。

 
 

「集集線の旅」おしまい。次回こぼれ話につづく。(N)