イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その4 ヴェネツィア
 

なんとか「歴史的レガッタ」を観戦できる場所を探して、ふたたびヴェネツィアの街を歩きはじめました。すると、通る人通る人みんなが写真を撮っていくスポットが。なるほど、これが有名な観光名所「ため息の橋」ですか。
 

       
 

「ため息の橋」とは、かつてドゥカーレ宮殿と牢獄を結んでいた橋のこと。ここを渡ると二度と生きては出られないと言われており、囚人たちが絶望のため息をついたという話から、この名前がつけられたそうです。それが今では、この橋の下でキスをすると永遠の愛が約束されるというジンクスができているのですから、別のため息が出そうです。
 

さらにうろうろしていると、だんだん街のリズムがつかめてきました。
 

       
 

入り組んだ細い路地を抜けると……
 

       
 

広場に出て……
 

       
 

また路地に迷いこむと……
 

       
 

今度は細い水路に出る。その繰り返しです。リリー・フランキー風に言えば「ヴェネツィア〜路地と水路と、時々、広場〜」みたいな感じでしょうか。
 

おっと、そんなことを言っている場合ではありません。レガッタを観戦できる場所を探しているのでした。風に乗ってイタリア語のアナウンスが聞こえてくるので、試合はもう始まっているようです。そろそろ大運河に戻ってみましょう。

あっ、やってますやってます!
 

    
 

こちらはおそらくジュニアの部。きりりと鉢巻をしめた女の子たちもいました。
 

やっとレガッタを観られたと喜んだのですが、曲がりくねった大運河の先にあるゴールは見えないし、イタリア語のアナウンスもちんぷんかんぷんなので、試合結果がどうだったのかはわかりません。しかも少年少女たちが通り過ぎてしまったあと、30分ほど空白の時間が。「まだ〜?」とぐずる子どもあり、「ピザ食べに行こうぜ」と立ち去るカップルありで、レガッタ観戦の人垣は減ったり増えたりします。
 

辛抱強く待っていると、今度は中世の衣装を身にまとった人々のパレードがはじまりました。船の飾りも立派です。
 

    
 

    
 

なんでもこれは、キプロス王に嫁いだカテリーナ・コルナーロの帰還歓迎パレードを再現しているのだとか。彼女がキプロスに養女として嫁いだことでキプロスヴェネツィア領となり、ヴェネツィア共和国の発展につながったとして、今日までその名を知られているそうです。(ええっと、それって、いわゆるひとつの政略結婚という代物では……?ひそひそ)
 

華やかなパレードが行ってしまったあと、予想はしていましたが、またも空白の時間が。次こそ本日のメインレースのはずなのですが、待っているうちにだんだん、もういっか、という気持ちになってきてしまいました。それよりもっと街を歩きまわりたいという欲求のほうが強く、結局また街歩きに戻ったのでした。
 

その5へつづく。(N)