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◆ミラノ
2012.8.31 その1
2012.8.31 その2
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2012.9.1 その1
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2012.9.2 その1
2012.9.2 その2
2012.9.2 その3
2012.9.2 その4
2012.9.2 その5
*連載が長くなったので、INDEXを作りました。
最新のブログはこの下からはじまります。
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.3 その1 ヴェネツィア
おはようございます。ヴェネツィア2日目、曇りの朝です。
ミラノではやたらとケーキ比率の高い朝食が供されましたが、こちらのホテルはどうでしょうか。クロワッサン、食パン、ハム、ベーコン、チーズ、スクランブルエッグ、ゆで卵、フルーツに、やっぱりありました、甘いパン。でも順当な比率です。にこにこ笑顔のおじさまが、飲み物はなにがいいかと訊いてくれるので、カプチーノを頼みました。
さて今日はまず、イタリアで最も古いユダヤ人居住区「ゲットー」を目指します。物の本によれば、「ゲットー」とは「鋳造」という意味の言葉で、かつてそこに鋳造所があったことからその名がつけられ、ユダヤ人が移住した後もそのまま受け継がれたのだそうです。それが転じて、今ではひとつの人種(主にマイノリティ)が集まって住む地域のことも指すようになりました。
ヴェネツィアのゲットーでややこしいのは、古いものが「ゲットー・ヌオーヴォ(新しいゲットー)」と呼ばれ、次につくられたものが「ゲットー・ヴェッキオ(古いゲットー)」と呼ばれていること。これはゲットーができた順番ではなく、元あった鋳造所の新旧にあわせて名前がつけられたためですが、大変ややこしいです。ちなみに、後年さらに追加された場所は「ゲットー・ヌオヴィッシモ(最新のゲットー)」と呼ばれています。いかにも最上級っぽい語感ですね。
ホテルからゲットーまではそこそこ距離がありますが、せっかくなので歩いて行ってみましょう。
サン・マルコ寺院には、入場を待つ人の列ができています。
サン・マルコ広場には、エサを待つ鳩の群れが来ています。
おやおや、その中に色鮮やかな鳩がいますよ。観光客からレモンやペパーミントのジェラートをもらいすぎたのでしょうか。はたまた、目立とうという本能が遺伝子の突然変異を引き起こしたのでしょうか。
広場を抜けたあとは、北西と見当だけつけて、勘に任せて歩きます。
しばし道中で目についたものレポートにおつきあいください。
水路脇の八百屋さん。こちらに集う鳩は普通の色です。
その先に立つ市場。こちらの写真、いつぞやの「trixistexts」で使った写真ですが、実はここで撮ったものなのでした。
ヴェネツィア島内は自動車の通行が一切できないため、船から降ろされた食材や資材は、手押し車で目的地まで運ばれます。
左は八百屋さん、右はマクドナルドの手押し車です。
キャンディーと魚介類を、なぜ一緒に並べる?
そこはかとなく、横尾忠則風。レストランの壁にさらっとかけられていました。
物見遊山を楽しんでいるうちに、ゲットーに到着です。かつてここに通じる橋には門をつけ、見張りを立たせていたそうですが、もちろん今はそんなものはありません。私たちもいつの間にかするりとゲットーに入っていました。
写真左の建物は、ゲットーの典型的な特徴を持つ住居ですが、さてどこがヴェネツィアの他の建物と違うのでしょうか。
その2へつづく。(N)
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その5 ヴェネツィア
ヴェネツィアの大運河にかかる橋は、全部で4つ。
これはそのうちのひとつ、リアルト橋です。
ここからレガッタを観戦しないようにするためでしょうか、運河を見下ろす橋の外側通路は通行止めになっていました。内側通路にはお土産屋さんが軒を連ね、すごい混雑ぶり。この橋も階段になっているので、ベビーカーや車椅子の方は苦労しそうです。
リアルト橋を渡ると、サン・ジャコモ・ディ・リアルト教会に出ました。大時計がすてきです。いったいどれだけ長い時を刻んできたのでしょうか。
しかしこの時計、よく見ると数字がちょっと多すぎるような……。なるほど、24時間時計なのですね。12時に見えますが、本当は18時を指しているのです。
石畳の柱廊も、思わず歩きたくなってしまう格好よさです。
その昔、この辺りには銀行、両替店、保険会社などが並び、商人たちでにぎわったのだとか。「ヴェニスの商人」ここにありけり、です。
すぐ近くに魚市場があるようですが、そちらへは行かずに、目的もなく「路地と水路と、時々、広場」の街をさまよい歩きます。
べたべたに甘そうなお菓子を横目に、イタリアへ来て初めてのジェラートを食べました。観光地なのに、2種類のフレーバーを選べて2ユーロとは、お得です。そしてとてもおいしい!
こんなことならミラノでも食べておくべきだったと歯噛みしましたが、毎日ケーキ比率の高い朝食を食べていたので、あれ以上の糖分摂取は危険だったかもしれません。
傾いた鐘楼と、窓辺で熱心にスケッチをするお姉さん。
ところで気になったのは、建物に打ちこまれている、これ。
ほら、こちらの建物にも。
遠目には大きなホチキスか絆創膏のように見える鉄の棒、古い石造りの建物が崩れてしまわないように支えているのでしょうか。そこかしこで見かけました。
1時間半ほど歩きまわって、大運河にかかるもうひとつの橋、アカデミア橋にたどり着きました。こちらは木製の橋です。ちょうど「歴史的レガッタ」のパレード参加者が、橋の下をくぐっていくところでした。
アリヴェデルチ(さようなら)、また来年。
アカデミア橋を渡って、ホテルのある側に戻りました。
日が暮れて、水路脇のレストランにも、サン・マルコ広場にも明かりが灯ります。
おいしそうなレストランがたくさんあるのですが、メニューをのぞくと、最低でもひとり2000円からといった様子で、ややお高め。節約のため、軽食を出すお店のパスタとドリンクのセットで、夕食を済ませてしまいました。お値段10ユーロ。
さて、ミラノから朝一でヴェネツィアへ移動してきた長い一日も、これでおしまい。歩きくたびれて、もうへとへとです。明日はユダヤ人居住区など、さらに深くヴェネツィアの街へ分け入っていきます。(N)
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その4 ヴェネツィア
なんとか「歴史的レガッタ」を観戦できる場所を探して、ふたたびヴェネツィアの街を歩きはじめました。すると、通る人通る人みんなが写真を撮っていくスポットが。なるほど、これが有名な観光名所「ため息の橋」ですか。
「ため息の橋」とは、かつてドゥカーレ宮殿と牢獄を結んでいた橋のこと。ここを渡ると二度と生きては出られないと言われており、囚人たちが絶望のため息をついたという話から、この名前がつけられたそうです。それが今では、この橋の下でキスをすると永遠の愛が約束されるというジンクスができているのですから、別のため息が出そうです。
さらにうろうろしていると、だんだん街のリズムがつかめてきました。
入り組んだ細い路地を抜けると……
広場に出て……
また路地に迷いこむと……
今度は細い水路に出る。その繰り返しです。リリー・フランキー風に言えば「ヴェネツィア〜路地と水路と、時々、広場〜」みたいな感じでしょうか。
おっと、そんなことを言っている場合ではありません。レガッタを観戦できる場所を探しているのでした。風に乗ってイタリア語のアナウンスが聞こえてくるので、試合はもう始まっているようです。そろそろ大運河に戻ってみましょう。
あっ、やってますやってます!
こちらはおそらくジュニアの部。きりりと鉢巻をしめた女の子たちもいました。
やっとレガッタを観られたと喜んだのですが、曲がりくねった大運河の先にあるゴールは見えないし、イタリア語のアナウンスもちんぷんかんぷんなので、試合結果がどうだったのかはわかりません。しかも少年少女たちが通り過ぎてしまったあと、30分ほど空白の時間が。「まだ〜?」とぐずる子どもあり、「ピザ食べに行こうぜ」と立ち去るカップルありで、レガッタ観戦の人垣は減ったり増えたりします。
辛抱強く待っていると、今度は中世の衣装を身にまとった人々のパレードがはじまりました。船の飾りも立派です。
なんでもこれは、キプロス王に嫁いだカテリーナ・コルナーロの帰還歓迎パレードを再現しているのだとか。彼女がキプロスに養女として嫁いだことでキプロスがヴェネツィア領となり、ヴェネツィア共和国の発展につながったとして、今日までその名を知られているそうです。(ええっと、それって、いわゆるひとつの政略結婚という代物では……?ひそひそ)
華やかなパレードが行ってしまったあと、予想はしていましたが、またも空白の時間が。次こそ本日のメインレースのはずなのですが、待っているうちにだんだん、もういっか、という気持ちになってきてしまいました。それよりもっと街を歩きまわりたいという欲求のほうが強く、結局また街歩きに戻ったのでした。
その5へつづく。(N)
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その3 ヴェネツィア
サンタルチア駅から島の南側をぐるりと大回りするコースで約40分、サン・マルコ広場にほど近いサン・ザッカリアで船を降ります。駅、広場、船着場、どれにもサン(セイント=聖)がつくのでややこしいですね。
ホテルまでは小さな橋をふたつ渡らなくてはいけません。ヴェネツィアの橋には、ほとんどすべてに階段がついているようなので、大きな荷物を持っていると大変です。仕方なくスーツケースを持ち上げてえっちらおっちら橋を渡りましたが、日々大量の荷物を運搬する方々は、もっと大変そうです。
こっちでも、よいしょっ!
これはベビーカーや車椅子の方も苦労しそうですね。
さて、無事ホテルにチェックインしました。ややこってりしたヴェネツィアン・スタイルの調度品でまとめられた、天井の高いお部屋です。木の鎧戸(日本でいうところの雨戸)を押し開ければ、そこは運河!人々のざわめきにまじって、石を打つ波の音も聞こえます。
「歴史的レガッタ」は午後4時頃にはじまるようなので、その前に腹ごしらえをすべく、さっそく街へ繰り出すことにしました。入り組んだ路地と細い水路が無数に張りめぐらされ、地図がほとんど用をなさないと言われるヴェネツィアの街。はたして無事ホテルに戻って来られるのかと、どきどきしながら歩きはじめます。
お祭りの日なので覚悟はしていましたが、ものすごいひとです。もちろんみんな、私たちと同じ観光客。
どこへ行くというあてもなかったので、人混みを避けるように細い路地へ。
心の赴くまま歩いてみます。
お、それらしい雰囲気になってきたぞ。いいぞいいぞ。
これなんてテレビで見たまんま……と、ついつい「ヴェネツィアらしい」風景を探してしまうのが観光客のかなしい性。それにしても、あまりの異文化っぷりに、巨大テーマパークか映画のセットにでもいるような非現実的な気分をぬぐうことができません。
しばらくぐるぐる歩いていると、飲食店が軒を連ねる通りに出ました。当然ながら海鮮を売りにする店が多く、店頭ディスプレイではあでやかな魚たちの競演を見ることができます。(レモンをくわえさせられた左端の子、がんばってます)
ヴェネツィアは観光客しかいないから治安はいいけれど、なんでも高い、と聞いていましたが、なかでも海鮮はお高めな様子。とりあえず値段の安そうなカフェに入って、アマトリチャーナとカルボナーラのパスタを頼んでみました。日本のファミレスでいただくようなお味でしたが、良心的な価格だったので満足。
お店の前を、結婚式を挙げたばかりの新婚カップルが通っていきました。
瀬戸の花嫁ならぬ、アドリアの花嫁。
勘だけに頼って、意外にすんなりホテルまで戻ってこられました。たしかに道は複雑に入り組んでいますが、東西南北で当たりをつければ、この街とは仲良くやっていけそうな気がします。しばし休んで、「歴史的レガッタ」に備えます。
午後4時前、表がにぎやかになってきたので、外へ出てみました。
あ、あれはレガッタに出場する船かしら?
見れば桟橋には鈴なりのひと!
運河沿いはどこもぎゅうぎゅう詰めで、大人ふたりが割り込む余地はなさそうです。のんびりしていたらすっかり出遅れてしまいました。なんとか観戦できる場所を探して、ふたたび街に分け入っていきます。
その4へつづく。(N)
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その2 ヴェネツィア
ミラノよりフレッチャビアンカ(白い矢)に揺られること2時間35分、11時40分にヴェネツィア・サンタルチア駅に到着しました。ホームに降り立って振り返れば、海を渡る線路のうえには大きな空が広がっています。
ミラノ中央駅と同じく、ぴんとまっすぐな櫛形ホームを抜け、まばゆい光の差すほうへ。いよいよ水の都ヴェネツィアに入ります。
私たちには、ひとつ心配事がありました。旅程を決めてチケットも手配してしまったあとで、今日(9月2日)がヴェネツィアの「歴史的レガッタ」というお祭りに当たると判明したのでした。
インターネットで情報を収集すると、昼過ぎには運河が通行止めになるとのこと。船以外に移動手段のないヴェネツィアでは、それは徒歩でしか動けなくなることを意味します。右も左もわからない街で重たいスーツケースを抱えて立ち往生、なんてことになったらどうしようと、はらはらしていたのですが、駅前を船が行き来しているのが目に入り、胸をなでおろしました。
船が動いている間にホテルに荷物を預けてしまおうと、チケット売り場に並びます。車の乗り入れができないヴェネツィアでの移動手段は、主に4つ。
1.ヴァポレット 最もポピュラーな水上路線バス。
2.水上タクシー 自由が利く代わり、ヴァポレットよりも割高。
3.トラゲット 運河の対岸へ渡るためのゴンドラ。立ち乗りが基本。
4.ゴンドラ テレビでよく見るあれ。観光用。6名定員、40分80ユーロ。
番外編として自家用クルーザーという手もありますが、大富豪でもひっかけない限り、乗船の機会はなさそうです。ヴェネツィアに3泊する私たちは、ヴァポレットの72時間有効なパスを買うことにしました。ガイドには33ユーロと書いてありましたが、35ユーロに値上げされたようです。ちぇっ。
どの路線に乗ればいいかを訊いて、機械にパスをかざして打刻すると、海に浮かぶ箱のような乗り場から乗船。出発です。
はじめに出会った風景は、恐竜の背骨みたいな橋をわたらんとするモノレール。あとで調べたところによると、2010年に開通した3駅だけの短い路線で、正式名称は「People Mover」というそうです。
サンタルチア駅は、左をむく魚のような形をしたヴェネツィア本島の口あたり、北西に位置しています(ウィキペディアに載っていた航空写真参照)。そこから逆S字型の大運河(キャナル・グランデ)が走り、島をふたつに分かっています。ここが「歴史的レガッタ」の舞台となるようです。
私たちのホテルは、駅から行くとちょうど大運河の出口あたりに位置しているのですが、乗った船は大運河を通らず、魚のおなか部分をぐるりと大回りしていきます。おなかの下には、寄り添って泳ぐような細長い島がもうひとつあって、こちらはジュデッカ島。間を走る運河はジュデッカ運河と言います。船は本島に停まったり、ジュデッカ島に停まったり、運河を縫うようにして進みます。
進行方向右手に見えてきたのは、ジュデッカ島のレデントーレ教会。16世紀に猛威をふるい、多くのひとの命を奪ったペストが終焉したことに感謝を捧げて建てられたそうです。
対岸、ヴェネツィア本島のほうには、かの有名なサン・マルコ広場が見えてきました!うわあ、遠目にもすごい数のひとがいるのがわかります。
さあ、ホテルはもうすぐです。
その3へつづく。(N)
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イタリアでも東奔西走の記
2012.9.2 その1 ミラノからヴェネツィアへ
いよいよミラノともお別れ。
今日はユーロスター・イタリアに乗って、ヴェネツィアへ移動します。
朝7時半、ケーキ比率の高い朝食をいただこうと1階へ下りていくと、おや、まだ準備が整っていないようです。
いつ見てもすてきなフロントのお兄さんに尋ねると、日曜日の朝食は、平日より30分遅い8時開始とのこと。初耳です。
列車の時間があるので、私たちは8時15分にはホテルを出なくてはいけません。そう伝えると、キッチンにかけあって、超特急でふたり分の朝食をととのえてくれました。すてきなうえに仕事もできるお兄さん、さすがです。ハムチーズサンドにヨーグルト、カプチーノをいただいている間に、ケーキが並べられはじめたので、そちらも一切れ。大満足です。
迎えのタクシーに乗って、チェントラーレ(中央駅)へ。前にも書いたとおり、この中央駅はムッソリーニのファシズム時代を代表する建築。威厳たっぷりの面構えをしているのですが、正面は工事中だったので斜めからパチリ。
とにかく天井が高く、トランポリン大会も余裕で開催できそうです。
そして階段の先には、撮り鉄の天国が待っています。
しかし切符を持っていなくとも出入り自由な駅は、スリや置引犯の格好の仕事場でもあることを忘れていけません。特に列車の時間や切符のありかなどに心を奪われて、注意力散漫になっている時が最も危険です。小心者の私たちは、ひとりが写真を撮るたび、もうひとりにスーツケースを預ける(それも、必ず持ち手を握らせる)という厳重警戒ぶりで、誰にともなく、盗らせないぞというアピールをしつづけました。
鉄道パスを有効にするバリテーション手続きで中央駅を訪れた際に下見をしておいたので、迷うことなくホームに到達。
ずらりと発着情報が並ぶ電光掲示板で、自分たちの乗る列車が何番ホームに着くか確かめます。
私たちが乗るのは、一番上にある9時5分発、ヴェネツィア・サンタルチア行きの9711号。しばらく見ていたら、横に8と表示されたので、8番線に来ると決まったようです。おぉ、来ました来ました。
ユーロスター・イタリア(伊語ではエウロスター)には3種類あるそうです。赤い矢という意味のフレッチャロッサ、白い矢のフレッチャビアンカ、そして銀の矢のフレッチャアルジェント。私たちが今回乗るのは、どうやら白い矢のようです。
なかは1等車と2等車に分かれています。2等車だと座席の間隔が狭いため、離れた荷物置場にスーツケースを置かなくてはいけないし、自分の席を探して車内を歩いている間にスリにあったという恐ろしい話も聞いたので、私たちは奮発して1等車を予約しました。5日間有効のパスで、たしか数千円程度の差でした。
ホームとの間に段差があるので、えいやっとスーツケースを引っ張りあげて乗車します。ここでいかにも親切そうに手伝ってくれる輩にも、注意が必要です。あとからお金を要求されたり、そちらに気を取られている間に仲間がなにかしらスっていく可能性があります。あなおそろしや。
さて1等車の内部は、1列+2列の並びで広々。私たちは向かい合わせになった1列席にゆったり座り、うしろの席との間にスーツケースを置きました。これで安心。
シートの背もたれは、頭のてっぺんまで包みこんでくれるほど深くて快適です。
遅延が多いと聞いていましたが、列車は定刻どおりにミラノ中央駅を出発しました。ここからヴェネツィア・サンタルチア駅まで2時間35分の旅です。
しばらくすると、飲みものとお菓子、新聞のサービスがまわってきました。
紅茶とクッキーを頂戴し、たたんであるテーブルを広げて、おやつタイムです。
そのあと車掌さんが検札にまわってきました。パンチのようなものでチケットに小さな穴を開けていきます。
ミラノはどんよりとした曇り空だったのですが、先へ進むにつれてだんだん天気がよくなってきました。よしよし、その調子と太陽を励ましているうちに、列車はヴェネツィア・メストレ駅へ到着。ヴェネツィアだ、とあわてて下車してはいけません。ここはヴェネツィア本島へ渡る手前、「陸地」にある駅なのです。
メストレ駅を出ると、ばばーん、海の上に出ます。しかし、残念!列車は左側を走っているので、右側の席に座っている私たちは、ひとの頭越しに海を眺めるしかありません。あーん。
あれか!あれがヴェネツィアなのか!?
その2へつづく。(N)