イタリアでも東奔西走の記
2012.8.31 その4 ミラノ 

たどり着いたスフォルツェスコ城は、なんだかはりぼて感でいっぱい。
これはいったいどうしたことでしょう?

あ、修復中なんですね。工事用シートに修復中の建物の写真をプリントし、なおかつ修復費用を負担している企業の広告を載せる、というのがイタリアのスタイルのようです。街中広告だらけという日本とは違って、広告規制が非常に厳しいイタリアならではのやり方ですね。

企業にとっても、こういうことで社会貢献していると宣伝できる、またとないチャンスになっているのでしょう。これはうまいことを考えたものです。ふむふむ。

ところでこのはりぼて写真工事シート、どっかで見たことあるような……。
思い出した!台湾だ!

こちらは2011年夏の臺北郵局(郵便局)。イタリアのような企業広告こそありませんが、こういう手法はヨーロッパに倣ったのかもしれませんね。

ところでこのお城は、かつてミラノを支配していたヴィスコンティ家が建てたもの。映画監督のルキノ・ヴィスコンティはその末裔です。ところが15世紀に跡継ぎが死去すると、それを待っていたかのように、娘婿が一帯の統治権も財産もすべてスフォルツァ家の所有に変えて、お城も自分たちのものにしてしまったのだとか。いつの世にもちゃっかりさんはいるものです。

雲行きが怪しくなってきたので、ブレラ美術館に避難することにしました。ここにはラファエロベッリーニなどをはじめとする、14〜19世紀の絵画が展示されています。建物自体も17世紀のイエズス会のものだということで、とても趣がありました。

   

   
 
絵画を鑑賞している(と見せかけて休憩している)間じゅう、たたきつけるように降る雨と雷の音が聞こえていました。さきほどまでの青空が嘘のようです。

雨が弱まったのを見計らって、今度は地下鉄でスタチオーネ・チェントラーレ(中央駅)へ向かいます。明後日からの鉄道パスを有効にするため、前もってバリテーションという手続きをしなくてはならないのです。

さて、初めて乗るミラノの地下鉄はどんな様子でしょう。
意外ときれいで、落書きもありません。

でも地下鉄というと、どうしても盗られたスラれた気づかなかったの話ばかり思い出してしまいます。距離をつめてくる(ように思える)ひとや、じろじろ視線を投げかけてくる(ように見える)ひとから遠ざかり、バッグとカメラをぎゅっと握りしめて立っていました。

無事にたどり着いたチェントラーレは、ムッソリーニファシズム時代を代表する建築。まずは1階奥のカウンターでバリテーションを済ませました。それから乗り場もたしかめておこうと、いくつもの動く歩道を上っていきます。

   

するとそこには、撮り鉄の天国がありました!
(いえいえ、私がそうだというわけではありませんよ)

 

  

以前書いた通り、イタリアの駅には基本的に改札はありません。ですから、こうして誰でもホームまで来られてしまうのです。防犯の観点からするとちょっと不安ですが、旅情を味わうにはもってこいです。

さあ、長かった一日ももうすぐおしまい。地下鉄に乗るより時間はかかりますが、城壁跡をなぞるように走る9番のトラムで、ホテルのあるナヴィリオ・グランデ(グランデ運河)まで戻り、ピッツェリア・プレミアータで夕ごはんを食べました。

ペスカの紅茶というのがあって、「ペスカってなに?」と英語で質問すると、「うーん、とにかくおいしい果物だよ!」という答え。頼んでみたら桃でした。

ピザはちょっと冒険してアーティチョークにしてみたところ、まあまあのお味。ミックスグリルはボリューム満点で、どうがんばっても食べきれませんでした。

これにサラダ、コペルト(席料)をあわせて41ユーロ。この調子で食べ続けていたらお金がもたない、と気を引きしめたところで、ミラノ2日目がおわりました。(N)