イタリアでも東奔西走の記
2012.9.1 その2 ミラノ

かつてヨーロッパには、城壁に囲まれた多くの城塞都市がつくられましたが、ミラノもそのひとつでした。

城壁があったころの名残は、「ポルタ」という地名に表れています。

イタリア語で「ポルタ」というのは、「門」のこと。城壁の環のところどころに、ポルタ・ティチネーゼ、ポルタ・ロマーナ、ポルタ・ヴィットリア、ポルタ・ヴェネツィアなどの地名がつけられ、かつてそこに城門があったことを偲ぶよすがとなっています。

街の中心にあるのは、私を興奮させたドゥオモ(大聖堂)です。その建設資材運搬のために環状のナヴィリオ(運河)が掘られ、のちに埋めたてられたことは、以前書いたとおりです。

つまりミラノは、ドゥオモを中心とした同心円状に、運河、城壁という二重の環に囲まれていたことになります。
 
城壁もナヴィリオも、今は環状道路になっていますが、須賀敦子は、この環はミラノの人々にとって特別な意味を持つものだと書いています。

「ナヴィリオの内側と外側が、いわば正規の外郭である城壁以前にひとつの区切りを作っていて、外側の人々が話すミラノ弁は、正統とはみなされない、と友人のガッティに聞いたことがある。」(須賀敦子さくらんぼと運河とブリアンツァ」『ミラノ 霧の風景』)

「彼らはこの運河の「環」の内側に住むことに、実体がすがたを消した現在でも、かたくなにこだわりつづけ(あるいは、それをあきらめ)、「中」の人種は、「外」の人種を、そんなことはないといいながら、たしかに軽蔑しているし、戦前までは、中と外で話されるミラノ弁までがちがったとも聞く。」(須賀敦子「街」『コルシア書店の仲間たち』)

そんな須賀敦子の暮らしたアパートメントは、ナヴィリオの環からも城壁の環からもはずれた「外」にありました。私たちはミッソーリ駅から27番のトラムに乗って、街の東側を目指しました。

やってきたのは3両編成の長いトラム。オレンジが効いています。

今回もいちばん後ろに陣取って、流れゆく車窓を楽しみました。
窓の汚れのおかげで、ちょっぴりふわっと幻想的な雰囲気に。

 

あ、お気に入りの1番トラム。

あれ?でもよく考えたら、1番と並走する予定はありません。1番が街の北部を横断するように走るのに対して、私たちは街の中心から東部へむかっているはず。なんだかおかしい……。

と思ったら、やはり反対方向のトラムに乗ってしまったのでした。あらら、どうしようと考えている間に、トラムは終点につきました。ミラノ見本市会場らしき建物が見えます。

伸びをしている運転手さんに地図を見せて、ここへ行くかと尋ねると、折り返し運転をするから行くよ、との答え。そのまま乗っかって、来た道を引き返すことにしたのでした。

その3へつづく。(N)