集集線の旅 その1


往来堂書店で開催中の「台湾<家跡>写真展+建築の本フェア」も、あと数日。せっかくなので、家跡を探し歩いた夏の台湾旅行のことを少し書こうと思います。 

今夏の台湾旅行には、家跡探しのほかにもうひとつ、「集集線」に乗るという目的がありました。集集線は、日本統治時代に水力発電所の建設資材を運ぶために敷かれた全長29.7km、全7駅の路線です。役目を終えた現在は、観光鉄道として人々に親しまれています。

その起点である二水が、父方の祖父の生まれ故郷と知っては、乗らずにはいられません。集集線の旅は、私のルーツ探しの旅でもあったのです。
 

そんなわけで、ある夏の暑い日、私は母や台湾の親戚と一緒に、台中駅から集集線の旅をはじめました。
 

購入した切符は2種類。台中から二水までの切符と、集集線・二水から車埕までの一日乗車券です。
 

  

プラットフォームのことを中国語で「月台」と言います。まるでこれからロケットにでも乗るような気持ちにさせてくれる名前です。台中駅の月台は、柱がとてもおしゃれでした。 
 


 

私たちが乗るのは、9:35台中発の區間快車3809。日本語で言えば区間快速でしょうか。ちなみに下りは「下行」と言うそうです。となれば上りは当然「上行」。初めて知りました。
てっきり二水で集集線に乗り換えるものだと思っていたら、どうやら直通運転をしているらしく、台中で乗る列車がそのまま集集線なのでした。やってきたのはこちらの列車。
 


 

内部はこんなことになってます。中華風?
 


  

でもこの車両は日本製。「NIPPON SHARYO 1998 JAPAN」のプレートがありました。意外と新しいですね。連結部分の横には、秘密の小部屋のようになったペアシートが。カップルにお勧めです。 
 


 

さあ、時間になりました。いよいよ出発です。まずは一気に終点の車埕まで行ってしまおうという計画です。しばらくは台鐵西部幹線を走ります。ときどき車窓から「家跡」が見えてじりじり。立派な三合院もいくつか見かけました。屋根のそり具合がたまりません。途中の彰化では、扇形車庫もちらっと見えました。こちらは後日訪れましたが、そのお話はまた別の機会に。
 

10:37、二水着。ここから先が集集線で、単線になります。その昔、祖父の実家は二水でバナナ農園をやっていたと聞きましたが、たしかにバナナの木が目につくようになりました。南国情緒たっぷりです。二水、源泉、濁水と「水」に関連する駅名が並びますが、お次の龍泉駅はまるでジャングル。降りた先になにが待っているのか興味津々です。
 

  
 

ジャングルのお次は、集集、水里、そして終点の車埕です。どこの駅だったかは忘れましたが、途中で乗ってきた家族連れが、アイスキャンデーをくれました。よほどはらへりに見えたのでしょうか。「Stay hungry」というジョブズさんの言葉を思えば、悪いことではなさそうです。
 

11:28、車埕着。集集線は1時間半に1本しかないので、予定がぎゅうぎゅう詰めの私たちは、次の列車が来るまでにてきぱきと観光しなくてはいけません。でもその前に、去りゆく集集線を激写。にわか撮り鉄気分です。
 


 

木造の駅舎は無人で、みんな勝手に出入りしていました。なぜかここでまたアイスキャンデーを1本。暑いのであっという間に溶けてしまいます。
 

 

 

車埕は観光名所・日月潭にほど近い場所にある小さな集落です。かつては林業で栄えたそうで、近年、立派な木業展示館が建てられ、その歴史を観光客に伝えています。中では小学生たちが木工体験中でした。

ここで売られている木製のお土産が、とにかく安い!小さな丸椅子が約600円だったので買ってしまおうかと思いましたが、これを抱えたまま一日過ごすことを考えて我慢。台中駅だって250元(約630円)で買えます。

 
 

木業展示館、集落の日本家屋などを見ていると、1時間半なんてあっという間です。駅に戻って12:59発の集集線に乗車します。

次の目的地は集集。白い木造駅舎は日本統治時代に建てられたもので、1999年9月21日に起きた大地震で一度は倒壊しましたが、関係者の尽力により修復されたそうです。
 


 

つづく。(N)