青秋部のweek企画がはじまります!

不忍ブックストリートweek」の本スタートに先駆けて、不忍ブックストリート有志(別名:アジアンビューティー)による企画がスタートします。おしまいに会場までの道のりを載せてありますので、谷根千の隣町・駒込まで足を伸ばしてみてください。

 

青秋部presentsアジアンカフェ 〜本・雑貨・写真・トーク・ごちそう〜
築50年の木造アパートを改築したカフェで、不忍ブックストリートの有志がアジアにまつわる本や雑貨を販売。青秋部Nが旅先で撮った写真も展示します。フェア限定アジアンメニューも登場。靴を脱いでごゆるりと。
 

日時:4月17日(火)〜4月29日(日)  *22日(日)・23日(月)はお休み
    火〜金16:00〜22:00 土日12:00〜20:00
場所:ちょこっとカフェギャラリー maruchan
    東京都北区田端4−3−3 マルイケハウス203
TEL:080−3454−2064  
 


トーク 臺灣環島鐡路旅遊 〜鉄道で台湾一周の旅〜
この春、それぞれ鉄道で台湾一周旅行を敢行したふたりのトークイベント。
台湾好きも鐡道迷(鉄道ファン)も熱烈歓迎!
  


出演:板谷成雄(装丁デザイナー)×中村加代子(不忍ブックストリート青秋部)
日時:4月21日(土) 16:30開場 17:00開演
場所:ちょこっとカフェギャラリー maruchan
参加費:1000円(ワンドリンク+おつまみつき)
ご予約・お問い合わせ:青秋部
 

 

 集集線の旅 こぼれ話

 
雨を振り切るようにして、台中に帰り着いた私たち。夕食は「香蕉新楽園」というレストランでいただくことにしました。英語にすると、「バナナ・ニューパラダイス」。いったいどんなところなのでしょう。
 

出迎えてくれたのは、青いディーゼル車。日本東急製の車両で、その色から「ドラえもん」の愛称で親しまれているそうです。
 



写真にある「月台」という中国語、もう覚えましたね。そう、プラットホームです。車両内部には、かつて使われていた鉄道関連のグッズや、案内板、ポスターが展示されていました。



名残惜しいですが、バナナ・ニューパラダイスへ入ってみましょう。すると、まあ、なんということでしょう。一瞬にして過去への時間旅行が叶ってしまいました。
 


 


ここに再現されているのは1960〜70年代の台湾の街並み。理髪店、写真館、歯医者など「巴洛克(バロック)」様式の建物がずらりと並び、壮観です。
 

街を飾るホーロー看板やポスターなどのアイテムは、すべて骨董コレクターとして知られるオーナーのコレクションだそうです。つまり実際に街中で使われていたものということですね。
 

日本語で書かれたものもたくさんありました。なんだか懐かしいたたずまい。
 

 

メニューは国語の「課本(教科書)」風です。
 



 

店の一番奥には、映画館を模したスペースもありました。
この2階で、驚くべき事件が起こります。 
 


 

映画館2階のトイレの前に、大きな一枚の絵が貼ってありました。どうやら映画の一場面を切り取ったもののようです。それを見て、母が一言。
 

「這是我(これ、私よ)!」
 

さてその問題の絵がこちら。
 


 

ふりむく女性がそうかと思えば、さにあらず。あちらをむいて立つ女性3人の先頭が母だと言うのです。むむむ、後姿では検証のしようがありません。
 


 

母曰く、この女性たちは侍女を装ったスパイなのだそうです。そう言われてみれば、たしかに不穏な空気が漂っているような気がしてくるから不思議です。
 

そんなこんなで、私のルーツ探し集集線の旅は、思わぬおまけつきで幕を閉じたのでした。おしまい。
 

(スパイの娘N)

 集集線の旅 その3

 
黒い雲と追いかけっこをするように、集集線は走ります。途中の踏切で手作業によるポイント切り替えを目撃しました。1時間半に1本しか走らないローカル線ならではの風景です。
 



 

おじさんが歩いて行って……どっこいしょ!
 


 


15:11、集集線の起点である二水に到着しました。ここが父方の祖父の生まれ故郷です。話に聞くばかりの、一度も会うことの叶わなかった祖父が、日本へ出てくるまでの時間を過ごした故郷なのです。……などと感傷的なことを言いながら、にわか撮り鉄気分は忘れていません。台鐵西部幹線の列車を激写。青と黄色のコントラストが美しいです。でも側面は銀色です。
 


 

駅を出て、まずは駅舎をバックに母や親戚と記念撮影。親戚の手には、先ほど買った「公益彩券」がしっかり握られています。
 

何十年ぶりかに二水の地を踏んだという母曰く、祖父の実家は駅からだいぶ距離がある上、連絡先ももう手元に残っていないとのこと。その代わり、お世話になった医者の家が駅の近くにあったはずだというので、その家を探してみることにしました。
 


歩きはじめてすぐ、日本家屋が立ち並ぶ集落がありました。かつてこの町には、多くの日本人が住んでいたのでしょう。なかには屋根が抜けて傾きかけているものもありましたが、住み継がれている家もありました。
それにしても背後の雲が不穏です。
  


昔はこんな立派な道路なんかなかったから、もう全然わかんない、と半ばあきらめかけている母を励ましながら、歩くこと数分。「あったあった」と、母が一軒の中庭にずんずん入っていきました。三合院を現代風に作り直したような邸宅です。
 


 

「すみません」となぜか日本語で呼びかける母。その声に応じて、お手伝いさんらしきひとが顔を出しました。「あのひとはいる?」「じゃあ、あのひとは?」という母の質問に、残念そうに首を横に振るお手伝いさん。それはそうです。長い歳月が過ぎているのですから。
 

もう往時を知るひとはいないのかと思ったそのとき、「大奥様ならいますよ」とお手伝いさんが言いました。大奥様と言われても、ぴんとこない様子の母を置いて、一旦奥へ引っ込みます。
 

そのお手伝いさんに手を引かれて現れた老婦人を見た瞬間、「わあ!」母が華やいだ声をあげました。対する老婦人も、「ああ!」と感嘆の声をこぼします。手に手をとりあって再会を喜ぶふたり。はたして大奥様こそ、若かりし日の父と母を知るそのひとだったのです。
 

私たちはソファの置いてある部屋に通されました。母と老婦人は、手をとりあったままです。そうして、それぞれの家族の近況や、私が生まれるずっと前のことを話しました。どうやら母は、父の実家を訪れる際に、祖父兄弟と縁のあったこの家に泊めてもらっていたようです。
 

老婦人はときどき、とても美しい日本語で私に話しかけてくれました。かつて日本が台湾を統治していた時代に、日本語教育を受けたのだということがわかりました。同じく日本語教育を受け、医者になったご主人は、バイクで往診中、曲がり角で車にはねられて亡くなったそうです。
 



昔、母が使わせてもらったお風呂場がそのまま残っているというので、見せてもらうことにしました。当時としては珍しく、小さいながらもきちんと浴槽のついたお風呂だそうです。
ミントグリーンに塗られた木の扉を開けると、「そうそうこれだった」と母が懐かしそうにうなずきます。





裏庭には、ブランコのさがった大きな木があり、猫がいました。台中界隈で出会う猫はとてもひとなつっこく、呼ぶ前からからだをすりよせてきます。「小鬼(悪ガキ)」にいじめられたトラウマがないのでしょうか。
かわいいです。

老婦人の家で30分ほど過ごしたでしょうか。いよいよ空模様も怪しくなってきたので、おいとますることにしました。母と老婦人は、最後まで手をとりあったままでした。

二水の駅に着くかどうかというところで、とうとう雨が降りはじめました。それはそれは激しい雨です。切符を買って、「月台」で16:06発、台鐵西部幹線「上行」を待ちます。やってきた青い列車に乗車し、私の集集線の旅は幕を閉じました。
 


祖父の実家を訪れることこそ叶いませんでしたが、それはきっとまた機会があるでしょう。胸に去来するあれこれに思いを馳せながら車窓を眺めていたら、窓がかわいらしい形をしていることに気づいて、ぱちりと写真を撮ったのでした。

 
 

「集集線の旅」おしまい。次回こぼれ話につづく。(N)
 

 集集線の旅 その2

集集線・集集の駅前広場にはSLが展示され、ちびっこたちが群がっていました。駅舎の修復といい、町のひとたちの鉄道愛を感じさせます。
 

 

ですが、ここでも私たちに与えられた時間は1時間半。14:37の列車を逃すと、次は16:00まで待たねばなりません。ということで、先を急ぎます。(帰国後、そこに「鉄路文物博覧館」なるものがあると知りました。予習不足はいけませんね)
 

まずは、腹ごしらえ。幸い駅前に土産物屋と食堂が集まっていたので、ガラス扉に「冷気開放」と大きく書いてある食堂に入りました。「冷気」とはクーラーのこと。つまり「クーラーあるよ、涼しいよ」ということを売りにしているのですね。冷暖房完備を売りにしていた昔の映画館のようです。
 


 
 
そこで頼んだのが、魯肉飯、燙青菜、貢丸湯。だいたいどこの食堂にもある定番メニューです。ふたりで500円もあれば、ほどよくおなかがふくれます。
 
 
 

つづいて、食堂の並びにあったレンタサイクル屋で自転車を借ります。値段は忘れてしまいましたが、時間制ではなく、1台いくらという計算でした。
 

颯爽と自転車にまたがって、目指すは「武昌宮」という廟。やはり1999年9月21日の大地震で1階部分がつぶれてしまったのですが、それをそのまま保存し、観光スポットにしているのだそうです。平日なのでほとんど人はいませんでしたが、大型バスの駐車場が完備され、土産物屋もありました。台湾人のたくましさを感じます。
 

御神体はプレハブ作りの仮宮に収められていて、みなさんそちらに拜拜(お参り)に行っているようです。現在、隣に新しい廟を建設中で、完成した暁にはまたそちらに御神体を移すとか。近距離とはいえ、神様のお引越しはなかなか大変そうです。
 

来た道を引き返して、次は「集集古街」を目指します。
途中で「家跡」も集集、もとい、収集。 
 


 

「集集古街」は名前から想像するほど古くはありませんでした。よくあることです。でも「家跡」に出会えればそれでよし。
 



 

裏道まで見てまわったら、そろそろ時間。炎天下を走りまわったので、のどが渇きました。駅前の土産物屋でラムネを買ったら、日本語も併記してありました。中国語では「彈珠汽水」。炭酸の勢いが表れています。


列車の到着時刻が迫っているというのに、親戚が姿を見せません。どうしたのかと思っていると、売店で「公益彩券」を買っていたとのこと。台湾の宝くじのことです。当たりますようにと、なぜか券をからだにこすりつけられました。ご利益があったかどうかは秘密です。
 

そうして無事14:37の集集線に乗車。いよいよ最後の目的地、二水へむかいます。最後部の窓辺に陣取って景色を眺めていると、不穏な雲が追いかけてきました。夕立の気配濃厚です。



 
 

つづく。(N)

 集集線の旅 その1


往来堂書店で開催中の「台湾<家跡>写真展+建築の本フェア」も、あと数日。せっかくなので、家跡を探し歩いた夏の台湾旅行のことを少し書こうと思います。 

今夏の台湾旅行には、家跡探しのほかにもうひとつ、「集集線」に乗るという目的がありました。集集線は、日本統治時代に水力発電所の建設資材を運ぶために敷かれた全長29.7km、全7駅の路線です。役目を終えた現在は、観光鉄道として人々に親しまれています。

その起点である二水が、父方の祖父の生まれ故郷と知っては、乗らずにはいられません。集集線の旅は、私のルーツ探しの旅でもあったのです。
 

そんなわけで、ある夏の暑い日、私は母や台湾の親戚と一緒に、台中駅から集集線の旅をはじめました。
 

購入した切符は2種類。台中から二水までの切符と、集集線・二水から車埕までの一日乗車券です。
 

  

プラットフォームのことを中国語で「月台」と言います。まるでこれからロケットにでも乗るような気持ちにさせてくれる名前です。台中駅の月台は、柱がとてもおしゃれでした。 
 


 

私たちが乗るのは、9:35台中発の區間快車3809。日本語で言えば区間快速でしょうか。ちなみに下りは「下行」と言うそうです。となれば上りは当然「上行」。初めて知りました。
てっきり二水で集集線に乗り換えるものだと思っていたら、どうやら直通運転をしているらしく、台中で乗る列車がそのまま集集線なのでした。やってきたのはこちらの列車。
 


 

内部はこんなことになってます。中華風?
 


  

でもこの車両は日本製。「NIPPON SHARYO 1998 JAPAN」のプレートがありました。意外と新しいですね。連結部分の横には、秘密の小部屋のようになったペアシートが。カップルにお勧めです。 
 


 

さあ、時間になりました。いよいよ出発です。まずは一気に終点の車埕まで行ってしまおうという計画です。しばらくは台鐵西部幹線を走ります。ときどき車窓から「家跡」が見えてじりじり。立派な三合院もいくつか見かけました。屋根のそり具合がたまりません。途中の彰化では、扇形車庫もちらっと見えました。こちらは後日訪れましたが、そのお話はまた別の機会に。
 

10:37、二水着。ここから先が集集線で、単線になります。その昔、祖父の実家は二水でバナナ農園をやっていたと聞きましたが、たしかにバナナの木が目につくようになりました。南国情緒たっぷりです。二水、源泉、濁水と「水」に関連する駅名が並びますが、お次の龍泉駅はまるでジャングル。降りた先になにが待っているのか興味津々です。
 

  
 

ジャングルのお次は、集集、水里、そして終点の車埕です。どこの駅だったかは忘れましたが、途中で乗ってきた家族連れが、アイスキャンデーをくれました。よほどはらへりに見えたのでしょうか。「Stay hungry」というジョブズさんの言葉を思えば、悪いことではなさそうです。
 

11:28、車埕着。集集線は1時間半に1本しかないので、予定がぎゅうぎゅう詰めの私たちは、次の列車が来るまでにてきぱきと観光しなくてはいけません。でもその前に、去りゆく集集線を激写。にわか撮り鉄気分です。
 


 

木造の駅舎は無人で、みんな勝手に出入りしていました。なぜかここでまたアイスキャンデーを1本。暑いのであっという間に溶けてしまいます。
 

 

 

車埕は観光名所・日月潭にほど近い場所にある小さな集落です。かつては林業で栄えたそうで、近年、立派な木業展示館が建てられ、その歴史を観光客に伝えています。中では小学生たちが木工体験中でした。

ここで売られている木製のお土産が、とにかく安い!小さな丸椅子が約600円だったので買ってしまおうかと思いましたが、これを抱えたまま一日過ごすことを考えて我慢。台中駅だって250元(約630円)で買えます。

 
 

木業展示館、集落の日本家屋などを見ていると、1時間半なんてあっという間です。駅に戻って12:59発の集集線に乗車します。

次の目的地は集集。白い木造駅舎は日本統治時代に建てられたもので、1999年9月21日に起きた大地震で一度は倒壊しましたが、関係者の尽力により修復されたそうです。
 


 

つづく。(N)

 あっぱれ日本晴れ!

「秋も一箱古本市2011」は無事に終了いたしました。うれしいことに、秋晴れのお散歩日和とあいなりました。お越しくださったみなさま、場所を提供してくださった大家さん、重い箱を引きずって来てくださった店主さん、精力的にチラシを配り、当日も笑顔でスタンプを押し続けてくださった助っ人さん、その他いろいろな形でお手伝いくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。
 
さて、みなさま気になっていることでしょう。お待たせいたしました。各賞の発表です!!どんどこどこどこ……どどすこすこすこ……じゃーん!!
 
南陀楼綾繁賞     ちのり文庫
■わめぞ・美女と野獣賞 photogramme
■BOEES賞        hi→ 
■蝉の店賞       せみのいえ
 
■売上金額
第1位 とみきち屋   69,450円
第2位 本屋本の雑誌 55,160円
第3位 BOEES    53,500円
 
■売上点数
第1位 とみきち屋  151点
第2位 hi→      88点
第3位 BOEES    76点
 
 
ということになりました。受賞されたみなさま、おめでとうございます!とみきち屋さん、強すぎる……。打ち上げにいらっしゃらなかった店主さんには、のちほど賞品を発送いたしますので、どうぞお楽しみに。(売上上位店主さんには、名誉を差しあげます)
 
そして、店主でもあり助っ人でもあるモンガ堂さんが、今年もリンク集を作ってくださいました。モンガ堂さん、いつもありがとうございます。これを読みながら秋の夜長に楽しい思い出し笑いをします。
秋も一箱古本市2011 リンク集
 
それではみなさま、また不忍ブックストリートでお会いしましょう。再見!
 
(I&これからブログを台湾一色に染めようとしているN)